しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

信仰とは 1)神の霊によって生きる







信仰とは



1)神の霊によって生きる


 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。<ヘブル人への手紙 11章 3節>


 神様が造ってくださったものの中でも人間の体は特に素晴らしいものである。小宇宙としての体もさることながら、その中に吹き込まれた神の息は人間の生きる本質である神の霊によって生きるということを可能にしているからだ。

 五体満足ということばがある。五体に障害がない、欠けているところがない、病気がない、ということであるが、漢方での見方もある。骨や血管、筋肉、肌肉、皮などだ。しかし、人が泣くという時はどうだろうか。体全体を震わせて泣くという表現があるが、この時、五体にあわせて心が共鳴しているのであろうか、確かに反対を考えてみると、体全体で喜びを表しているとき、喜びの心がこの五体に共鳴しているということがわかる。

 五体の中に心は含まれてはいないのだが、五体不満足という時、不満足の一番欠けたるところは心だ。だが、たとえ五体は満足でも心が欠けると、五体の中に心は入ってないはずなのに五体は不満足となってしまう。

 自分が満足に生きているか、幸せであるか、ということは五体のせいではないということだ。つまり、いかに障害、病気、難問題をかかえていようと、その人の心が満足であれば、その人の生き方はまさに五体満足の状態、五体で表現できるくらいの幸せ者だということだ。

 わたしたちの体は、目に見えているものであるが、その本質は神からでたものであり、現れているものからではなく、顕すことのできるお方によって、この世に生かされているのだ。特に、イエス様から癒しをいただくと、心も解放されていることに気付く。癒しと解放はいつも共に主から来る。心の底から五体満足と思えるほど、主の平安に満たされるのでこれは、主からのものだとよくわかる。

 すると何が起こるのか、私の五体は心と共に「ワッハッハ!」と笑える。心が解放され、聖霊様に満たされていると、完全な五体満足になっているのだ。大きな声で「わっはっは!」と笑うのである。

 「心身共に満足だ!」、いや、これ以上の満足が「霊の満足」だ。私の魂のど真ん中にある「霊」がイエス・キリストにのっとられている状態の「満足」だ。これこそが「キリスト我がうちにありて生くるなり」なのだ。毎日「主によって生かされているなあ」という生き方を知らずしらずのうちにしている、ふと気付くと、周りの人々も「信仰をもって生きるというのはいいもんだなあ」と感じてくれるようになる。

 伝道なんて、まさに生き方なんだとわかるし、信仰って生き方なんだと悟らされる。「そういう人になりたい、そういう生き方をしたい」そう思いつつ、今日もイエス様に思いをはせている。







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