しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

選択と決断






選択と決断


「人間が生きるためには嫌なことでもしなければならないというのは迷信だ。」と、人間誕生と言う短い文章のなかで父は言った。今までそう確信して生きてきたからである。

 この文章は父が人間くさい脱仙人の生活を始めようと決心した時に書いたものである。このときの父は、この世と無縁の仙人ではない、信仰者として、人間として自分の手でお金を稼ぎ、妻子を養って生きることだと思いを変えられ、企業人として生きる生き方に転換した、新しい信仰の形の始まりでもあった。

 このように、自分の生き方を左右するような、決断を迫られるような出来事を誰もが何度か体験するように、私たちにも、時に選択と決断が目の前にやって来る。このときの父にしてみても、ニッチモサッチモいかない状況の中で(時間もお金も猶予がないという切羽詰った状況)ただ、主を信じ進むより他に生きる選択肢がなかったのだ。

 この状況が、自分に対する神様の選びとご計画であるとはなかなか気付かない。しかし、このような切羽詰った時こそ祝福を受け取るチャンスだ。神様は、常に私の前に祝福とのろいを置く。わたしが祝福を受け取るチャンスであるが、のろいを受け取るチャンスでもあるのだ。どちらを受け取るかは、受け取るその人の選択である。


 しかしハンナは答えた、「いいえ、わが主よ。わたしは不幸な女です。ぶどう酒も濃い酒も飲んだのではありません。ただ主の前に心を注ぎ出していたのです。<サムエル記上 1:15>


 ハンナが、神様の前に赤裸々な自分の心の中を注ぎ出して祈った時、その祈りが聞かれた。ハンナは、大きな選択をした。「どうしても子供がほしい。そのことを今ある自分のまま、神の前に出て、心の中の全てをさらけ出して祈ろう。しかし、いただいた子供は神にお返しする。」というものだ。

 父である神は私の思いの中の悪い枝や腐った枝を、ひとつひとつ切っては炉に投げ込み、大きな実がみのるように剪定してくださるのである。結果わたしは悪い思い、必要のない思いを淘汰され、祈りの中で神様の祝福を受け取るものとされてしまうのだ。

 
 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである<ヨハネによる福音書15:2>


 主に大きな実をいただく! 量も質も最高の物をいただく! 実をもって主の祝福を証しする! 私も御霊によって主に最高の賛美と祈りをささげる! 主の前に喜ばれる心と思いを持って、最高の礼拝をささげる!

 わたしたちの主はこれらを実現してくださる。私たちの選択と決断が主に喜ばれるように祈りつつ。






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