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しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

聖霊の証印








聖霊の証印




 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。<エペソ人への手紙1:13、14>


 生命保険や自動車保険にまったく加入していない、また加入したことが一度もないと言う方はほとんどいないと思います。保険制度を考え出した人は初めはみんながいざという時に困らないようにと、相互扶助の精神で始めたのだと思いますが、いまの人々の感情を垣間見ると、まるで保険に加入していれば、病気をしないような、また事故を起こさない、事故にあわないような錯覚にとらわれているところがあります。また、「病気をしても大丈夫」というのは経済的なことであって、病気が治るわけでも命の保障があるわけでもないのです。

 だからといって「いらないものだ」と信仰保険一本で生きた父(釘宮義人師)のような生き方は、通常の人にはなかなか出来ないことです。しかし、この信仰一本の生き方こそ「病も災いも、命でさえも大丈夫」と言える聖霊様の保障によって生きることなのです。

 私たちがいただいている聖霊様の保証、つまりわたしたちの魂の中に押されている聖霊様の印は私たちの永遠の命を保証するものです。

 創世記をみますとアダムとエバの初めての子供カイン(わたしは得たという意味)は、母エバの希望を打ち砕いてしまうような神様に背を向けた子供に育ったように思えます。次に生まれた子供にエバはアベル(空虚,気息)という名前をつけとことからも何となく伝わってきます。カインは正しくない心で、神様にささげものをしました。神様は心の中を見られます。カインのささげものは神様に受け入れられませんでした。

 このあと人類初の殺人が起こってしまいます。アベルを殺したカインに神様は「カインに出会うものが誰も彼を撃つことが無いように」と、しるしをつけられました。このあとカインは主の前を去ったと聖書は書いています。

 罪を犯してもなお、生きる道を与えて下さる主の愛は本当に広く、深く、高いものです。

 しかし人は神の愛を離れ、まるで己の力で生きているように錯覚してしまいがちです。そしてカインの子孫レメクはカインにつけられたしるし以上の力を私は持っていると自負し高らかに歌います(創世記4:23)。しかしこれは神様がくださった力によるものではありません。

 このような愚かな人間で地上は溢れかえるようになります。万能の神であり全てを創造しそれに満足した神様が、人間を造ったことを後悔し、心を痛めると言うことにまで発展します。それでもなお神様は、私たちに永遠の命を与えて下さるための御計画を今も私たちのために続行してくださっています。カインが知らないしるし、すなわち聖霊様による証印を私たちに押すためにです。



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