しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

主は希望を捨てない







主は希望を捨てない




 イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。<創世記25:21>


 今日も朝から水害,地震、人質・・・のニュースだ。

 「一体、人間も自然もどうなっているのだろう」と思う時、地球の平和、宇宙の平和と完成を祈った内村鑑三先生のように私も願わずにはいられない。

 先日、尼崎での環・関西リバイバルミッションに参加し、神戸を回って大分に帰ってきた。町々を見ながらあの阪神大震災を思い起こす。よくもここまで復興できたものだと、想像すらできないほどのご苦労のあったことなどを思う。今なお大変な不安を抱えている人たちもいるのであろうし、東日本大震災での津波の大被害、また福島の原発事故では今まで生きていた土地と空気までが取り去られていったのだ。

 しかし、人々の心は葦のように強く、ひまわりのように光に顔を向けることを忘れていない。涙の分だけ祈りがあり、苦しみの分に代えて希望があったからであろうか。

 神様の創られた人間はなんて強いのだろうか、そして反面なんて弱いのだろうかと、すごく矛盾にとらわれてしまう。
 先日いわき市のM先生ご夫妻がうちの教会を訪ねてくださった。生前父が「雲に命じる」ということを話していたのを,あの原発事故のとき思い出したそうだ。

 空を見上げると目前に放射能の詰まっているであろうあやしげな黒雲が、今にもここに来て雨を降らす、そのような事態であったそうだ。その命がけの状況の中でM先生は雲に命じたそうだ。山を動かす信仰の祈りだ。

 「雲よ立ち去れ!」「雲よ、太平洋の向こうまで飛んでいけ!」、こんな感じだったに違いない。きわどいところでの必死の祈りは聞かれ、突風が吹いて雲は遠くへ吹き飛ばされていったそうだ。

 私はこの話を聞いて思わず手を打った。「主よ、やはり信じて祈る!これしかないわ!」

 父の「雲に命じる」と言うのはとても面白い話であった。実は父は「雲を消す」名人であり、母は「雲を増やす」名人(ちょっと言い過ぎかも)であって、これで雲の量のつじつまはあっていたのであろうかとちょっと笑ってしまう。



 今日のみ言葉はイサクの祈りである。神の約束によれば生まれるはずの子供が授からない。イサクには父から聞いた神との契約を神が履行しないはずは無いと、確かにわかってはいたはずだ。しかし、現実はそうでなく、リベカには20年もの間こどもが出来なかったのである。

 しかし神は忘れてはいない。イサクが祈り願うと、直ちに神は祈りを聞いてくださったのだ。神は私たちの祈りを、今か今かと待っていて下さるに違いない。

 主ご自身が私たちに抱いて下さっている希望がある限り、主の側にいつも私たちの願いを聞き届ける用意があるということでもあろう。




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