しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

二人の妻によって









二人の妻によって





 9月14日は、礼拝後昨年同様近くのファミレスで教会の敬老会を行った。少人数ではあるが、いわば教会の精鋭部隊、頼もしい姉妹たちである。

 自分や家族の病また、問題など、それぞれにかかえてはいるのだろうけれど、主に支えられて、皆つややかな顔でテーブルの前に座っている。素晴らしい主の家族だ。心の中で「ありがとう、ありがとう」と思っていると、自然に笑みが浮かんでくる。

 箴言17:6に「孫は老人の冠である。父は子の栄えである。」とある。私にとって今、目の前にいる姉妹方こそ、主に与えられた私の冠、私の栄えであると、喜ばずにはおれない。なんと私は幸せなのだろうと、今日も感謝で過ごす。


 さてラバンにはふたりの娘があった。姉の名はレアといい、妹の名はラケルといった。
レアは目が弱かったが、ラケルは美しくて愛らしかった。<創世記29:16、17>



 これは一体誰の評価であろうか。ヤコブがラケルの容姿、容貌に惹かれたのは確かであろう。彼女を妻にするための7年間の労働がほんの数日のように思えたというのだから、ヤコブのラケルへの思い入れは相当なものだ。

 ラバンにとってはレアをとにかくラケルより先にヤコブに嫁がせたいという考えが初めからあり、二人を妻とさせるための思案が既にあったのであろう。

 以前は父イサクをだましたヤコブが、今度はラバンによってだまされることとなる。そしてヤコブは二人の妻をめとることになる。ラバンの画策でさえ、神の側では想定内だ。

 ヤコブに愛されないレアは神の哀れみを受けて7人もの息子を得た。比べてラケルのほうはというと愛されても愛されても、なかなか子供を与えられない、という皮肉な事態であった。どちらがヤコブの子を多く生むかで、幸福の取り合いである。

 神様は、この二人の妻とそれぞれのつかえめによる息子、後に生まれるラケルによるヤコブの末っ子ベニヤミンをいれて、合計12人の息子を得させたのである。この12人こそがイスラエルの12部族の父祖となる訳である。

 マタイによる福音書1章2節から17節のイエス・キリストの系図を見ていただきたい。2、3節にレビの名がある。


 だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。<マタイ1:17>


 レアはヤコブに愛されなかったが彼女によって生まれたユダの子孫としてダビデが生まれ、イエス・キリストへと続いていくのである。神のなさることは実に時にかなって美しい。



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