しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

ヨセフの夢








ヨセフの夢



 彼はこれを父と兄弟たちに語ったので、父は彼をとがめて言った、「あなたが見たその夢はどういうのか。ほんとうにわたしとあなたの母と、兄弟たちとが行って地に伏し、あなたを拝むのか」。兄弟たちは彼をねたんだ。しかし父はこの言葉を心にとめた。<創世記37:10、11>


 ヨセフの夢は父のヤコブや兄弟たちにとってとんでもないものであった。そのころヤコブ家では、牧畜のほかに耕作をしていたのだろうか、ヨセフの夢には畑の束が出てくる。ヨセフいわく「兄たちの束がまわりにきて私の束を拝んだ」というのだ。そればかりか、「日と月と11の星とがわたしを拝みました」というのだから、兄たちの怒るのもむりはない。

 そのころのヨセフは精神的にはまだまだ子供であったからであろうか、無邪気に両親までもが自分を拝むのだと言う夢の話を父の前でもしたのである。

 しかし、ヤコブはというともちろんヨセフを愛していたと言うこともあろうが、さすがにイスラエルの名をいただくほどの信仰者だ、このヨセフの言葉を心にとめた。

 
 イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。<ヨハネによる福音書/13:7>


 「今はわからないが、先で何かがわかる時が来るのであろう。」という意味合いののヤコブの「心に留めた」と言う言葉だが、まことにイエス様がおっしゃっているとおりだ。

 私たちは聖書を読んでこの先どうなっていくのかを知っているが、このときのヤコブとヨセフの兄たちは、勿論ヨセフもだが、将来起こるであろう事を全く知らないのである。このときの兄たちのような憎しみが湧くほどのねたみをともなう事態がおこれば、誰でも先を見越して現状を理解するなどということはできないのが普通かもしれない。

 しかし、ヤコブも、最愛の妻ラケルの子として特別に父に愛されたヨセフも、普通ではなかった(笑)。ヤコブが他の子供たちには着せない特別の晴れ着をヨセフに着せたこと、またおくびもなくそれを来たヨセフ。これはいかにも「妬んで下さい、ヨセフは特別なんだ」といっているように見える。それにしても聖書はヨセフが悪いとも、ヤコブが異常だとも書いていない。神の計画は歴史として淡々と進むのであろうか。

 聖書はごまかさない。いくらイエス・キリストの系図にのるほどの人物であっても赤裸々にありのままを記している。わたしたちが、神の決めたことに対して善悪をいう事は決してできない。しかし、ただそのことを通して神のご計画を知るときが来る。

 これはただ神様のご計画の中で翻弄させられているのではなく、聖霊様を通して、今私たちは何が神様の御心であるのか、何が神様に喜ばれることであるのかを知らせていただきながら日々を歩むということである。







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