しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

悲しみを越えて








悲しみを越えて


 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。<イザヤ書61:3>


 人の悲しみの中でも愛するわが子を亡くすことほどつらく悲しい事はないと思う。

 色々と理由もあるだろうが、まだ幼い少年たちが兵士となりテロに加担する。この少年たち、また働き盛りの青年たちが戦争にでていくのを親たちはどんな思いをもって送り出しているのであろうか。

 人間は命をお金と引き換えにする事はできるかもしれない。だがなくなった命はお金で買い戻せない。そして悲しみはだれも買ってはくれないし売ることも出来ない。心の苦しみや病もそうだ。売ることも買うことも、身代わりになることさえできない。これを癒し、解放し、喜びにかえることが出来るお方、それがイエス様だ。

 創世記37:33以下をみると神と格闘するほどの強い信仰をいただいていたヤコブですら、愛するヨセフを亡くすということは天と地が崩れ去るほどの悲しみであった。

 自分の子供たちに「ヨセフは死んだ」と騙されるヤコブも哀れだが、彼らもまさかこれほどまでに父が悲しむとは思っていなかっただろうなと想像する。ヨセフの兄たちはヨセフを売り飛ばし父をだましたことをきっと後悔したであろう。

 神様がご自身の計画を進めていく途中で、わたしたちもこのヤコブのような場面に直面することがあるかもしれない。先を知らねば人生真っ暗、死んでしまいたいほどの苦しみ、悲しみ、恨み、ねたみなどで心は押しつぶされてしまう。そして「たまらなくなって神様に文句をいい自分の人生をサタンの支配の中に投げ打ってしまう」というようになる。

 しかし、もしその時、私たちの人生の本当の行き着くところがわかっていたとすればどうだろうか。今のトンネルの先が必ず開けて主の臨在の場所に出るとわかっていれば少々きつくても、なんとかトンネルの出口まで這ってでも進んでいくだろう。

 そしてもっと素晴らしいことに、私の人生の真の居場所がわかると主の臨在は先にもあるが、今このトンネルの暗闇の真っ只中にもあるということがわかる。私にぴったりとよりそい、ともに歩いて下さっているし、ときには私をかかえて歩いて下さっているイエス様に気付かされるからだ。

 神の選びとご計画、これを知るならば私は歩いていける。肉の死後を神の国で過ごすと言うことを知るならば今も神の国の住人として歩いていける。悲しみや苦しみを乗り越えていけるのは私の存在が100%イエス様のものと知ればこそだ。

 深い悲しみのなか、フッとイエス様のお顔を心に描いて御名を呼んでみよう。わたしの過去も今も未来も、また私が何処から来て何処に行くのかをもすべて知っているイエス様に、きっとすべてを委ねて生きていけるはず。



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