しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

幸運な者になろう







天に於いても地に於いても


 天に帰っていった釘宮義人牧師、夫人をはじめ、30人近い方々のこの世の「遺影」が、会堂に並べられている。今日は「在天者祈念礼拝」の日である。

 写真は在りし日の姿であるが、天においてはもっと若返ってはつらつとして、大きな笑い声が響き渡っていることであろう。天にての若さは、永遠に変わることのないイエス様の似姿であろうと想像する。

 この世での様々な人生で得た宝を、今満喫しているのだろうか。準備のため写真を並べていた時フッと写真と眼を合わせると、幸せの波動が伝わってくるようであった。

 何時までも私たちの心の中にあり、ともに天と地とでほめ歌をうたい主を賛美する、そんな素晴らしい日を心から感謝しよう。





 
幸運な者になろう



 主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。<創世記39:2,3>


 ヨセフが兄たちによってイシマエル人に売られ、いった先はエジプトだった。当時の王パロの廷臣(宦官とも訳している)で侍従長をしていたポテパルという人がヨセフを買い取った。ポテパルはヨセフにまかせておけば、彼の神によって自分までもが祝福に預かれることを見抜いていた。ヨセフは主にあって幸運なものだったのだ。そのなすところはみな栄えるのだ。


 このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。<:詩篇1:3>


 その幸運は、たとえポテパルの妻の虚偽の告発により牢獄につながれたとしても変わらない。それどころかその牢獄から主は新たな道をヨセフに開かれる。このようにヨセフが幸運であり続ける理由は「主が共におられる」からということである。

 ヨセフの幸運の理由を見抜き、かれに信頼を置き、その能力を最大限に引き出すというポテパルの手腕は、そのままヨセフがうける神の祝福をいただいたのである。

 わたしたちも神様に祝福されたもの<創世記12:3>として、イエス様と周りの人に愛される人になりたい。そうすると、私を愛してくれる人々は皆イエス様の祝福を受けられる訳でありこれ以上の幸運はない。

 私たちは主を賛美し、互いに愛し合い、祝福を祈りあおう。自分にこれが出来るできないはともかく、共にいてくださる主を信じて祝福を祈りあうのが幸運を掴む秘訣のようだ。



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