しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

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時が来るまでの忍耐








時が来るまでの忍耐



 彼らは言った、「わたしたちは夢を見ましたが、解いてくれる者がいません」。ヨセフは彼らに言った、「解くことは神によるのではありませんか。どうぞ、わたしに話してください」。<創世記40:8>


 ヨセフがエジプトに売られてくる前、兄さんたちや、父の前で語った夢の話しをした時のことを思いだしてみよう。ヨセフ自身もその時から「自分の見る夢は神様からの啓示である」と気付いていたのかもしれないと思うのである。

 さらに獄中でヨセフがはっきり彼らに「解くことは神による――」といったのは、夢を解く賜物をいただいているという自覚があったからなのか、そのとき神の霊によって応えた言葉であるのか、きっとどちらも正解なのだ。

 時に神様からの啓示は、瞬間的に全てのことを知らしめてくださったり、理解させて下さるものである。とにかく私たちは、神様から来る啓示、預言だけを信じるものでありたい。

 私も以前は雑誌などが手元にあるとつい星座占いなどに目をやり、我ながらなさけないなあと思いつつ苦笑する、そのようなことがよくあった。しかし今はおかげで、それらを見ることも聞くこともなくなった。私たちは神様からの預言をいただくべきである。 

 獄中「夢のときあかし」という素晴らしい神からいただいていた賜物を発揮できる時を得たヨセフであった。だが、このことによって獄から出られる道が開けるかもしれないというかすかな期待も、2年という年月の間応えられることはなかったのである。

 神様はしばしば沈黙する。「よし、ここまではうまくいった、チャンスも得た」という時、どうかするとそれ以上の進展がなくなり、パタッと進みかけたものさえも止まってしまうという時がある。急に神様がいなくなったような錯覚さえ覚える。

 私たちも多分、信じているようで、信じていない、主のなされることを待ちきれないことがしばしばなのだ。

 
 どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。<テサロニケ人への第二の手紙/3:5>


 ヨセフがこの先必ず主の栄光を見ることが出来るように、私たちにもすでに用意されている神様からの報いの日がある。
かつての日本のキリシタンのような、そんな厳しい迫害は今の日本では無いかもしれない。

しかし日々の小さな忍耐を神とキリストの愛によって持つことができるように祈っていきたい。その忍耐は希望を生むものだからである。






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