しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

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祈りは魂のエンジン



「イエス様のお顔ってどんなだったんだろう?」
そう思ったことがある人は結構いると思う。
「時代はここまで来たのか」といいたくなるほどだ。
「イエス様みていたら教えてください。こんなお顔だったの」 (takae)





祈りは魂のエンジン 




 朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。<マルコによる福音書1:35>


 夜が明けると、イエスは寂しい所へ出て行かれたが、群衆が捜しまわって、みもとに集まり、自分たちから離れて行かれないようにと、引き止めた。<ルカによる福音書4:42>

 

 イエス様はしばしば寂しいところに行き、一人で祈っておられました。

 ルカによる福音書4:42では祈ったとは書かれていませんが、マルコによる福音書の並行記事を見ると祈っておられたと書かれています。イエス様にとって祈りとは天の父との深い交わりであったはずです。

 

 すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。<マルコによる福音書1:11>

 

 神様はいかに人間としてこの世に使わしたひとり子なるイエス様を愛しておられたことでしょうか。

 イエス様にとっても天の父はご自身の存在そのものでありました。町々や村々に出て行くときや、サタンにとらわれている人たちの癒しと解放のため出て行くとき、神の御霊と権威が満ち溢れていました。

 

 それは、父との深い交わりである「祈り」の機動力によって外に出て行ったからです。いわばイエス様の祈りは、世界一のレーシングカーに搭載されたエンジンのようなものです。この車は、最高の油、最高のエンジン、イエス・キリストという最高の運転手を乗せた、私たちのこれまた最高の道案内人なのです。

 わたしたちがこの車に乗りさえすれば、そのまま天国に行けるのです。

 私たちを天国に導きいれてくださるイエス様の力の源泉は「天のお父さん」との交わりでした。そして十字架への道をひたすら歩いて行けたのも常に祈っていたことの証でありましょう。

 

 私たちもイエス様を真似て生きたいと思います。イエス様の似姿とはまだまだ程遠い私たちではありましょうが、日ごとの歩みの中で、私たちのありふれた日常のなかで、こつこつと祈り続けて行きたいと思うのです。

 イエス様が福音宣教のため、癒しのため、解放のために出て行く力とする「天の父との交わり」は、同じように私たちにとっても主のために働きつづけていける秘訣なのです。

 

 常にサタンに勝利していくために、そしていつも主に喜ばれるために「祈り」によってイエス様に近づき戦う力を研ぎ澄ませていただこうではないですか。(た)





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