しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

イエス様が一番


イエス様が一番

 

 夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。 <ルカ6:13>


 イエス様の周りにはいつも多くの弟子や人々が共にいました。その中からイエス様の代理の使者として、十二人を選び使徒と名づけました。イエス様は福音を伝えるために使徒たちを町々へ遣わしたのです。

 イエス様の行くところでは、多くの癒しと不思議な業が、次々と起こりました。人々が病や悪霊から解放されていったのです。癒された人々の中には、癒したお方が誰だか知らなくても、直接イエス様の手によって、またお言葉によって奇跡を体験したということもありました。使徒たちはこの奇跡をことごとく見てきたのです。

 今日、わたしたちも時々びっくりするような奇跡やまた預言が語られたりと、たくさんの聖霊様による御業がなされているのを見たり聞いたりします。

 しかし、多くのミニストリーが繰り広げられ、眼を見張るような奇跡が目の前で起こったとしても、そこにイエス様がいらっしゃらなければ、私たちにとって罪からの救いと解放を伴う癒しや奇跡はおこりません。

 今朝は松岡欣也先生(イエス栄光芦北教会創設者・自称「フリーの牧師」とは父が夢見た自由なクリスチャンに似た気持ちかもしれないなあ)の【ちょっと一言】という毎日配信してくださっているメッセージの中で、「リバイバルと称して現在なされている教会での預言が、”イエスさま”を語らないなら、余言(余計な言葉)になりかねない。」という一言が書かれていました。

 確かにイエス様がいなければ、預言も時に余言どころか、暴言になりかねません。 

 

 イエス様が昇天されたあとの初代教会で執事が選ばれました。その時の使徒たちのことばです。




 わたしたちは、もっぱら祈りと御言のご用に当ることにしよう」。 <使徒6:4>




 初代教会の使徒たちのように私たちもまず、みことばと祈りに専念すること(私の心と口からイエス様を離すことがないよう)に、一生懸命になってみましょう。

 イエス様が私たちを選び、福音を伝えるために遣わすのです。十二使徒たちが、いつもイエス様と共にいたように、祈りとみことばは、私たちの心をイエス様から離すことなく、福音宣教のため立ち上がらせてくださいます。




 あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。<申命記7:6>


 使徒たちはイエス様にとって宝であったにちがいありません。私たちも同じようにイエス様の宝として選ばれたのです。私たちにとってもイエス様が宝で一番です。


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