しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

イエス様が驚く信仰

の花ピンク





イエス様が驚く信仰




イエス様はよく「あなた方の信仰は、どこにあるのか」(ルカ8:23)、また「ああ、なんという不信仰な」(ルカ9:41)などと、弟子たちを見て嘆いていたことがありました。

 たしかに、イエス様と一緒にいたころの使徒たちは、あるかないかわからないくらいの本当に小さな信仰によって歩んでいたと思います。しかしいつもそばには助けてくださるイエス様がいてくださいました。

 ところが弟子でもユダヤ人でもない、すごい信仰の人がいました。


 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。<ルカ7:7>


 ルカによる福音書の百卒長の「おことばをください」という信仰ですが、命令系統の確立している、軍隊のよいところがあらわされたものでもありましょう。しかし、軍隊では、その上官の命令が正しかろうと、そうでなかろうと、従わなければなりません。

 イエス様のお言葉は真実です。百卒長は、イエス様を信じていました。「必ず、お言葉をいただくことさえできれば、私の愛する僕は癒されるのだ」、「癒すことができるお方はこの人以外にはいない」と、心の中で信頼していたに違いありません。

 わたしたちも、たとえ百卒長ほどの信仰がないとしても、目に見えない病気や、遠くにいる家族、兄弟姉妹のためには、とりなして祈りやすいのではないでしょうか。

 「祈ってください」と電話などがあったときには、喜んで祈ってさしあげたいものです。私たち自身の信仰の励みにもなります。

 祈っているとなおさら共に喜びあえるという、聖霊様による交わりが深められます。

 そして、それがいかに小さな癒しや、祈りが聞かれたという体験であっても、祈って与えられたものには、何倍もの喜びという付加価値があるのです。



 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。<ルカ7:9>


 イエス様が感心するほどの信仰を私たちも持てるでしょうか。

 小さいもののためにも、自分より強くて大きいと思える人のためでも、ただイエス様を信じて、ことごとに祈っていくとき、イエス様に驚かれるほどのとりなしの祈り手となるんだと信じます。

 天地がゆすぶられるような大きな奇跡も、実は、一人の小さな祈りから始まるのだろうし、イエス様へ祈ることそれ自体が、私たちの小さな信仰を支えてくれるものです。




スポンサーサイト

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://shionnoyume.blog.fc2.com/tb.php/318-02d2082e