しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

うまず、たゆまず、くじけず

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うまず、たゆまず、くじけず




 わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。<ヨシュア1:9>


 私の罪のために身代わりとして十字架にお架かりになってくださったイエス様を信じ、お言葉に従おうとする時、つい「むずかしいなあ」と言いたくなってしまいます。私たちにはできないことが多いからです。

 確かに救われるのは自分の行いでも能力でもありませんから、できなくても信じるだけで救われます。

 しかし、私たちの人生の中で問題に直面したとき、くじけてしまってはそこで終わりです。先には進めません。

 つい感情的になったり、イライラして衝動的に何かを言ったり行動したりすることも、その時は最善をしているつもりでしょうし、周りが見えてないことも確かでしょう。

 「船の右側4月号」で別府不老町教会の牧師斎藤真行先生が「もうだめだ」と思うとき、そこから心が解放されていく・・・ということを言っておられました。

 わたしたちは、「もうだめだとくじけそうなとき」まで自分を持っていけるだろうか、パウロのように、走りぬく行程を走りぬいたならば、たどり着く「もうだめだ」のときが来るんだろうと思うのです。しかし、それさえもできず、半ばでくじけてしまいそうな時は、「もうだめだ」までもなかなかたどり着かないのが現実です。

 十字架の下までついていった女性たちも、途中恐れと悲しみと憤りで、一歩も前に進めないということもあったと思うのです。しかし彼女たちは、まるで敗者の冠のような十字架まで、黙々と一歩一歩とにかく、イエス様のあとを追いかけていったのですね。そしてついに十字架の下に、イエス様の足もとにたどりつくのです。


 「もうだめだ」の行き先は血まみれとなった十字架上のイエス様の足もとなのです。ここにしか救いと解放はありません。
 つまり、うまずたゆまず、くじけず、フラフラになっていてでもいいから一足一足、イエス様の十字架に近づいていきたいと思うのです。

 最後まで歩けるかどうかもわからないような私に、「強く、また雄々しくあれ。」と命じてくださる主のお言葉が私の心を勇気付けてくださいます。共に十字架の下に集まりましょう。 





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