しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

神様の望み







神様の望み



 彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。
 このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。<使徒行伝2:30~32>



 ダビデの預言どおり、イエス様は黄泉にくだり、捨て置かれるどころか、死と黄泉に勝利し、イエス様を信じるものが、死と黄泉に支配されないように、勝利の道をあらかじめ定めてくださいました。

 ペンテコステの日、使徒たちは、イエス様が約束してくださった聖霊に満たされました。ペテロたちは立ち上がったのです。

 彼らはガリラヤ湖の漁師であり、また多くの人からお金を巻き上げていた収税人でした。血気にはやる過激派でもあり、寡黙な人間でもありました。色々な状況の中から、イエス様に導かれ、見つけ出されて、イエス様についてきた人々であったのです。

 使徒たちが聖霊に満たされたとき、それはまるで、別人を見ているようだったでしょう。

 イエス様を裏切り、逃げ、うそをついてイエス様には顔向けできない状態の使徒たちが、復活のイエス様にお会いし、40日間過ごすうちに、初めて自分たちの弱さを知り、イエス様の深い愛と神の御子としての権威を知ったことで、新しく創りかえられ、聖霊を受ける準備を整えられていったのです。

 主の霊が降る時、はげしい油注ぎがありました。
 ペンテコステの祭りの時、聖霊に満たされたペテロのメッセージには、目を見張るものがあります。「あれはガリラヤ人ではないか」と人々がびっくりするのも無理のないことです。

 ユダヤ人として、ユダヤ人の救いを一番に願いたいであろうペテロですが、聖霊に満たされると、自分の思いではなく、神の御心を聖霊によって語らせられていました。

 
 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。<使徒行伝2:38、39>


 イエス・キリストは世の始まる前から、十字架の贖いと救いを私たちのために用意してくださいました。人間にとっては、イエス様の死も復活も、ただ不思議に思うだけのことかもしれません。

 しかしこのことは人の思いによらず、神様の側の必然の計画であって、それは神様が私たちに望んでおられる「一人も滅びないで」を完成させることなのです。

 ユダヤ人も異邦人も、そして私も含めてイエス様を信じる者はすべて「神の召しにあずかるもの」と言えるのです。



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