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走りぬくべき行程を走る







走りぬくべき行程を走る



 わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。<Ⅱテモテ4:7>。


 過去つらい人生を歩んできた人であったも、今、笑顔あふれる生き生きとした顔を見せているなら、この人が昔は苦しみと悲しみの中で毎日泣いていた人だとは誰も気づかないでしょう。

 心の中を主に明け渡した人は、過去どのように最悪と思える人生であっても、主に出会うことによって「私の人生のすべてが変えられた」と言えるからです。

 私たちの生きている価値は、どうやら私たちの今の姿にあるようです。

 「戦いぬいてきた、走りつくしてきた、信仰を守りとおしてきた」とパウロのように、きっぱり言えるということは、今、パウロ自身に、このことを言わせて下さるイエス様との信頼関係があるということです。いいかえればこれが信仰です。聖霊様が告白させてくださるのです。


 十字架にかかる前の晩、イエス様が、ペテロに言いました。


 シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。<ルカ22:31、32>


 「シモン、シモン」とイエス様は愛を持って声をかけました。

 この後、ペテロはイエス様の言われたとおり、イエス様を「知らない」といってしまいます。それは今までの失敗とは違って、「イエス様への裏切りとしか思えない失敗です。そのことでペテロは、本当につらい思いをすることになります。

 しかし、イエス様は父なる神様にとりなしてくださいました。

 「信仰がなくならないように」です。

 ペテロはイエス様を心から愛していました。弁明をしに、また代わりにムチを受けに飛び出て行きたいほどの情熱が、ペテロの心の中にはあったはずです。

 この時、ペテロは自分の弱さを知りました。本当に「心は熱すれど、肉体は弱い」臆病な自分を、自分ではどうすることもできなかったわけです。

 しかし、ペテロは立ち直ります。みことばのとおり「力づけてあげられる」ペテロに変わります。イエス様はそのときのペテロを見て、イエス様が守り通してくださったにもかかわらず、「信仰を守りとおしてきたね」と、言ってくださるのではないでしょうか。

 今の私たちにもイエス様が同じように「走ってきたね、守りとおしてきたね」といってくださることを信じています。なんという愛でしょう。



  

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