しおんのゆめ・・・わたしのまわりは神様からのプレゼントでいっぱい!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

聖書の真実

11800503_834235216684447_9203243475014437807_n_convert_20150726080222.jpg



聖書の真実


 世の人々にとって、イエス様の復活の話は、十字架で死なれたというおろかな話以上に、「ありえない話」と言われかねないものですね。
 
 聖書には、「こんなことは書かなければいいのに」という記事がたくさん出てきます。

 愚かな「罪びと」と、あわれみに富んだ「神様」の真実を書こうとすると仕方のないことです。

 神様はそんな愚かな私たちの全てを知った上で私たちを愛してくださっています。

 出来の良い人だけが、救われるとしたら、この世に救われる人はいないでしょう。

 また、眉をひそめるほどのことを書いているのも、聖書が真理に導く書物であるからです。



 そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。<ルカ24:4>


 日曜日の朝早く、マリヤたちは香料をもってイエス様のお墓に行きました。お墓の蓋をしていた大きな石は転がされていて、中に入ってみるとイエス様のお体がありませんでした。

 誰も見ていない墓の中で起こったことを知っていたのは、神様と御使いでした。そしてこのことが確かであるという証人として二人の者が現れたのです。

 天の者が証人ですから、このことは確かに事実であり、真実なことであるとの確証です。



 すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。<Ⅱコリント人13:1b>


 神様は、この知らせを一番先に当時身分の低かった女たちに示してくださいました。とかく自分より低く見ている者達の声は、聞かないものです。使徒たちといえども例外ではありませんでした。


 ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。<ルカ24:11>


 私たちにとっても、信じがたい聖書の言葉はたくさんあります。しかし、幼子のような一途で純真な心でイエス様の声に耳を澄ますならば、十字架の意味も、復活の喜びも、すべてマリヤたちと共有することができるでしょう。

 人間の歴史の中でも、復活のイエス様に最初に会うことの出来た女たちは、なんて劇的で、凄い体験をしたんだろうかとちょっぴりうらやましいかぎりです。しかし、今の私たちにとっても救いは劇的なんだなと思います。イエス様の愛は、昔も今もこれからも変わることがないないからです。


スポンサーサイト

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://shionnoyume.blog.fc2.com/tb.php/342-09264a7c
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。